【閲覧注意】今私たちが注意すべきことは?命まで軽量化しないで!死者の気持ちを考えて!誹謗中傷超注意!!
※この記事は、センシティブな内容が含まれています。
閲覧には充分ご注意いただき、安易に拡散しないようにお願い致します。
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三浦春馬さん
2020年7月18日、俳優の三浦春馬さん(30)が自殺したという、衝撃の報道が飛び込んできました。
三浦春馬さん…私も好きな俳優さんなので、すごく驚きましたし、ショックですし、いまだに信じられません…。
誤報なんじゃないかとか疑ってみたりしていますが…。
とはいえ私は本人のブログやSNSなどを追っているいわゆるファンではなく、テレビなどで拝見する程度なので近況は存じ上げなかったのですが…
なんというか、“元気そう”だと勝手に想像していたので、本当に驚きで、何があったんだろう…?と疑問ばかり浮かんでいます。
三浦春馬さんの自殺のわけとは(注:憶測です)
一方で、同い年の俳優・賀来賢人さんのInstagramのストーリーズに、気になる言葉がありました。
「人が好きなモノや、一生懸命やっている事を馬鹿にするのなんか超簡単で、否定したり、好きだ嫌いだ言うことも超簡単。
本当に超簡単。靴紐結ぶより。
SNSがもっとポジティブになる事を願ってます。」
これは…何のことをおっしゃっているのか、それは明記されていませんが、"一人に対して大勢で誹謗中傷して精神的に追い込む"ことを問題視しているように見て取れますよね。
実は今年1月、三浦春馬さん自身も、似たような発言をしていました。
「明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人たちの気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う」
「国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…」
これは俳優・東出昌大さんの不倫報道により非難が集中していることについて述べられていたそうです。
確かに決して正しい事ではないけれど、洗いざらい報道したり、みんなでよってたかって叩くというのは、不倫が重罪かのようで、なんかちょっとズレてる気がします。
その後の、プロレスラーの木村花さんを誹謗中傷して自殺に追い込んだり、政治的発言をした芸能人に誹謗中傷したり、誰かれ構わずコロナ差別をしたり…。
これらの出来事が起きるたびに、三浦春馬さんはきっと心を痛めていたのかもしれませんね…。
三浦春馬さんの自殺の理由は、三浦春馬さんへの誹謗中傷の可能性がある、という憶測が飛び交っています。
真相はまだわかっていませんのでこれ以上掘り下げることは控えますが、もしそうだとしたら、私たちが彼を死へと追いやったことになります。
そうだとしたら、これはもはや自殺とは言えないのではないでしょうか?
今の時代は、SNSの投稿だけで人を殺せてしまう、ということを、忘れてはいけないと思います。
ちなみに、SNSの誹謗中傷でなんらかの損害を負った場合、そのアカウントの身元を特定し、訴訟を起こすことができるようになってきています。
被害者はこれを利用して身を守り、加害者はいずれ罰せられるということを覚えておきましょう。
夕方頃、続報がありました。
- 自宅のクローゼットのなかで首を吊っていた。
- 日記のようなものに遺書とみられる文章が綴られていた。
この2点だけでも、意志は固かったのだと思われます。
迷いがなかったのだと思われます。
遺書まで書くくらい…。
その方法を選ぶくらい…。
もし、少しでも迷いがあれば、それを書いている途中で意志が揺らぎ、思いとどまることができたかもしれません。
家族や友人、仕事仲間やマネージャーさんなど…大切な人たちの顔が思い浮かび、「やっぱりだめだ!」と、目が醒めた可能性がありました。
しかし、恐らく、迷いはなかった…。
大切なもの、すべてを投げうってしまった…。
なぜ自殺をしてしまったのか?
一体何が彼を死へと追い込んでしまったのか?
まだまだ疑問は尽きませんし、悲しみや、ある種の後悔は尽きませんが…。
だけど、絶対にしてはいけないこともまた尽きることはありません。
今、私たちが注意すべきNG行為4つ!
それは、
- 死者をこれ以上追い詰めないこと
- 関係者やご家族、友人、ファンを追い詰めないこと
- 事実ではないことや事実かどうかわからない情報を安易に拡散しないこと
- 誹謗中傷した人に誹謗中傷しないこと
です。
こういうときって、誰もが過敏になっているので、カッとなったり激しく落ち込んだりしやすいです。
そんなときは一度スマホやメディアから離れて、心を落ち着かせましょう。
ですので、この先の文章の閲覧にも、充分注意していただきたいのですが、とっても大切な事で、できたらお伝えしたいことなので、心に余裕のある時にぜひ、読み進めてみてください…。
自殺は悪い事なのか?なぜ自殺するのか?
他殺(他人の命を奪うこと)は罪になりますが、では自殺(自分の命を奪うこと)は罪なのでしょうか?
逮捕・起訴されることはありません(そもそも死んでしまっているから…)が、私たちはよく「自殺なんて絶対にしてはいけない!」と思っていませんか?
私は……正直、グレーかな…「絶対」とは言い切れないと思ってしまいます。
ただ中には、「自殺は悪い事だ!」とか「自殺する奴が悪い!」などと言う人がいます。
私はこの考え方はさすがに良くないと思います。
要するに
- 「家族や友達が悲しむからダメだ!」
- 「残された遺族が不幸になる!」
- 「生きたくても生きられない人がいるのだから、命を粗末にしてはいけない!」
ということだと思うのですが、上2つは確かにおっしゃる通りです。
死んでしまったら悲しむ人が必ずいます。
遺族は葬儀に追われるし、周囲から白い目で見られることもあります。
たしかに遺された側はそうでしょう。
ですが、その反対側の人のことも考えてあげてほしいと私は思います。
死んでしまった人のことを。
もう何もしゃべらないし、泣くこともないし、私たちが気遣いも誹謗中傷ももうできない、死者の気持ちを。
一方で3つめの「生きたくても〜」というのは、ズレてるというか、トンチンカンだなと思います。
人はみんな生きている環境が違うのに、同じ物差しではかるのは筋違いです。
人は皆平等、だなんて幻です。
平等な人なんてどこにいるのか教えて欲しいものです。
たしかに、死にたい人は、生を望めば長生きできる可能性は高いでしょう。
しかし、生きたくても生きられない人も、死にたい人の気持ちが少しわかるのではないか。
どちらも、すごく苦しい思いをしながら生きていて、もしかしたら、生き地獄に感じているかもしれません。
少なくとも責める気持ちは起きないのでは?と私は思います。
だから、生きたい人、死にたい人、そのどちらでもない人が両者に割って入ってやいのやいの言うのは、かなり異質な行為ですよ。両者とも「???」です。
自殺の理由は人それぞれですが、ほとんどは“人間関係”が絡んでいると思います。
まったく病まない人には理解するのは難しいかもしれませんが、人間関係が原因で死にたくなってしまうという不可解な現象が、世界中でたくさん起きているのが現実なのです。
「死にたい」とは
海外の人たちがそうなのかは私にはわかりませんが、日本では主に学生などの若い人が「死にたい」という言葉をしばしば口にします。
私が高校生の時も、クラスメイトの何人かからこの言葉を聞いたことがあります。
当時の私にはその言い方が"本気の「死にたい」"には聞こえなかったので、正直気分が悪くなり、「軽々しくそんなことを言わないで!」と言ってしまいました。
実際どうだったのか…口癖のように言う人もいれば、本気で悩んでいる人もいるので、もし後者だったらと思うと、私が放った一言の重さと言ったらないでしょう…。
今では、私こそ軽率な発言だったと反省しております。
「死にたい」という言葉には、様々な意味があります。
1.「辛い」の最上級
思い通りにいかなくて、悲しい、苦しい、悔しい、辛い、などという気持ちの最上級のような意味合いでふと出てしまう言葉。
本当に死にたいわけではなく、それくらい心が張り裂けるように辛い、という感じでしょうか。
しかし、こういう苦しみを積み重ねていくと、いつかは本当に死にたくなるほど心が疲弊してしまう可能性があるので注意が必要です。
もし身の周りの人で「死にたい」を連発するようになったら、気にかけてあげたいですね。
2.本当に死にたいと思っている
この人は、心が正常ではないかもしれません。
つまり、心の病に侵されている可能性が高いといえます。
精神疾患と呼ばれるもので、1番よく知られているのは、うつ病や統合失調症あたりでしょうか。
精神疾患の詳細については、今回の話と少し逸れてしまうのでここでは触れませんが…。
うつ病についてざっと、ざっと洗ってみます。
うつ状態とうつ病
精神的ストレスや身体的ストレスを過剰に抱えることで発症します。
精神的ストレス
これはイメージしやすいと思いますが、誹謗中傷やいじめ、パワハラなどですね。
身体的ストレス
つまり過労のことです。
働きすぎ、勉強しすぎ、部活や習い事の練習をしすぎ、など、からだがとても疲れていまうことですね。
ゲームで例えると、HPが0(戦闘不能)になっても戦い続けることです。
ゲームの世界はすべてデータで管理されているので、気合や根性で乗り切ることは(スキルなどを使わない限り)絶対にできませんが、現実世界ではこれができてしまいます。
戦闘不能っていわれているのに戦い続けたら……どうなるか想像に難くないですよね。
ところで、『コロナうつ』という言葉を聞いたことはありますか?
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、過剰な労働が強いられている人(医療従事者や販売員、配送業など)が、過労や精神的ストレスでうつになってしまうことを『コロナうつ』と称しています。
いつもハツラツと仕事をこなす人や、根性根性ど根性でどんな困難も乗り越えてきた人など、それまではうつとは無縁と思われるような人でも、なにかがきっかけでうつに追い込まれてしまうのです。
ちょっとややこしいのは、『うつ病』と『うつ状態』と分かれていることです。
うつ状態
なんとなくおわかりいただけるかもしれませんが、『うつ状態』は病気の1歩手前の状態で、かろうじて、なんとか、生活をこなしている感じです。
鬱々とした気持ちが長時間あるいは数日続き、
↓
気力がなくなり、
↓
好きなことにも興味がなくなり、
↓
何も出来ないことが、より憂鬱さが増していく…
…という悪循環に陥ります。
うつ状態ではない人でも、物事をネガティブに捉えがちな人は想像がつきやすいでしょうか。
1度ネガティブなことを考えると、よりネガティブなことを考え、どんどんネガティブ思考回路の渦にのまれていってしまいますよね。
このままいくと、
「私はなんてダメな奴なんだ…。」
「私なんて生きている価値なんてないんじゃないか…。」
など、自暴自棄になる可能性が出てきて、『うつ状態』が、『うつ病』に発展してしまったり、自殺願望が芽生えてしまう危険性があります。
うつ病
『うつ病』は文字通り病気……生活は愚か、自力で生きていくことも困難で、場合によっては入院を余儀なくされる人もいるほど。
うつ状態の症状はほぼ常にあり、加えて、思考回路が止まり何も出来ず、寝たきり生活を送っている人もいるくらい、正真正銘の病気なのです。
高齢者がうつ病になると、認知症と間違われてしまうほどの重症なのです。
「こんな状態でずっと生きていても意味がないし、家族や周りの人に迷惑をかけるだけだし…私なんて死んだ方がマシな人間なのでは…。」
という気持ちは頻繁につきまとうでしょう。
身体的にも精神的にも生死を彷徨う、大変な病気なのです。
職場や学校に復帰しても、環境が改善しなければ(また悪口やパワハラ、重労働など)、うつは再発してしまいます。
そう考えると、「また迷惑をかけてしまう」「クビにされてしまうかも…」といった懸念はぬぐえず、なかなか回復までに至らず、苦しみ続ける人がとても多いのです。
うつから完治した人は、相当環境や人に恵まれているのだと思います。
しかし、そうでないと感じる人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
自殺する人が考えていること
うつの説明が長くなってしまいましたが、「死にたい」についての話に戻ります。
自殺願望のある人の多くは、うつ状態や精神疾患に陥っている可能性が高いです。
そういう人は、周りが見えなくなるほどふさぎ込んでしまっています。
健康な人は、何か悩みがあったら家族や友人に相談したり、好きなことをしてストレスを発散させますよね。
しかしうつ状態の人は、まずストレス発散という発想がありませんし、誰かに相談するというアクションも起こせません。
もしその人がいじめられているとして、家族に相談したら、学校や職場に問い詰めたり、いじめっ子の家まで行って叱りつけるかもしれません。こらしめるかもしれません。
友だちや学校の先生、職場の上司などに相談しても同じようなことをやりかねません。(学校の先生なんてすぐ公開処刑するかもみ消すかのどちらかで、一番相談できません。)そうなったらさらにいじめがエスカレートするのは目に見えています。
そうならなかったとしても、家族や友人はとても心配しますよね。
それを見るのも辛いし、解決につながるわけでもないのがまた辛かったりします。
つまり、逃げ場がないのです。
この永遠の苦しみから解放する手段といえば……。
もう、そうするしかなくなってしまうのです。
ここまで考えを巡らせたら、生と死を天秤にかけたら、死に傾いてしまったら……
恐らく、迷いなんてものは、なくなってしまうのでしょう。
死を決意してしまうのでしょう。
この記事の最初の方で、「私は自殺は絶対にダメだとは言い切れない」と書きました。
その理由がこれ↑です。
彼らは、ある意味賢明な判断をしたと言えてしまうからです。
誰だって、苦しいことや嫌なことは避けたいじゃないですか。
彼らにとっては、生きることは苦痛以外の何物でもなくて、死ねば楽になれる、そう思ったのだと思います。
たしかにその通りですよね…。どっちが楽かといったらそうなってしまいますよね…。
ただ、ただ、生を選び続けている私たちは、なんというか…むなしい?ような、心に大きな穴があいたような苦しみがありますよね。
言い方があれですけど、捨てられてしまったような気分。
それは否めません。
今回だって「どうして?」「まさか三浦春馬さんが?」という言葉に支配されています。「仕事やファン、家族や友人よりも、死を選んでしまった。」という…悔しいかんじが…。
「三浦春馬さんを救う方法はなかったのか」「支えてあげられなかったのか」というあがきのような気持ちもあります。
とにかく、虚しいし、悔しいんです。
(私個人のどーでもいい話)
ぶっちゃけ、私自身は「死にたい」と強く思ったことや、「よし、死のう」とか「駅のホームに飛び込もう」などと思ったことは一度もありません。
「もうどうでもいいや」
「もう死んでもいいや」
「車突っ込んでこないかな」
「誰か殺してくれないかな」
とか、考えたことは結構あります(それはそれでやばい)。
要するに、私はただのチキンです。
立派に生きる勇気もなければ、死ぬ勇気もないのです。
痛いのは嫌ですから。
……なんて、それだけ書いたら誤解を生むので、大きな声でお伝えします。
今はそんなこと思っていませんよ!!
だから殺しに来ないでくださいね!!
今でもうつ抜けはできていませんし、人生のどん底で何年もうろうろしています。
自暴自棄になっていた時と、状況はほとんど変わっていません。
でも、死にたいとか殺してくれーとかはいっさい思わなくなりました。
希望があるわけじゃないのに。そんなもんどこにもない。
だけど、生きたいと思えているんです。
なぜなのでしょうね。
三浦春馬さんは30歳で、私は26歳。
よく考えたらほぼ同世代?(世界は違うが)
私と4つしか差がない青年は、どうして最後に生きたいと思えなかったのか。
私と彼と、なにが違ったのか。
なぜ、三浦春馬さんは死んでしまったのか。
これだけ長々と書き連ねても、結局そこに戻ってしまいます。