カフェとモカ

フリーバリスタと愛猫モカのまったりライフ

あの時の出来事。

 

 

 

さて。

 

ここでは、あの日起きた出来事を綴っていきます。

 

当時のケータイの写真を交えてお伝え致します。

 

やや単刀直入で失礼致しますが、どうか、最後までお読みいただきたいと思います。

 

 

 

 

 

あの日、私と友だちと、3人でTBSに行くことになっていました。

 

ひみつの嵐ちゃん!』という番組の

マネキンファイブ』という人気コーナーの投票企画に参加しに、赤坂に来ていました。

 

嵐のメンバーがファッション対決をするというコーナーですが、

今回は特別編ということで、視聴者の投票で順位を決める、という企画でした。

 

 

ただ、友だちの1人は、急用ができてしまったため来れず、

2人で行くことになりました。

 

整理券を受け取り、集合時間まで少し時間があったので、

TBSショップで買い物をしました。

テレビ局とは別の場所にある、小さめのお店でした。

 

それが、2011年3月11日10時28分ごろ。

ガラケーの画像にも当時の時間が刻まれていますね。

 

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買い物をした後、TBS局へ行き、1階にある、各番組のブースを見て回りました。

ただ、そこまで時間はなかったので、

私たちは、スタジオセットのミニチュア模型を見て、ほどなくして局を出ました。

 

ここでは、ひみつの嵐ちゃん!のスタジオ模型を載せさせていただきますが、

他にも私の好きな番組の模型もあって、楽しかったです。

 

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その後、集合時間が近づいてきたので集合場所へ行き、

並んで、企画会場へ行き、

嵐さんの作品を堪能したのちに投票して、

会場を後にしました。

 

それが、13時35分〜14時くらいです。

 

 

 

良い感じの昼下がりでお腹も空いたことだし、と、

再びTBS局に戻り、併設のレストランへお昼ごはんを食べに行きました。

 

TBSショップで買ったものを眺めながら、

友だちと先ほどのマネキンファイブの感想を語り合っていたところへ、

注文したメニューが来ました。

 

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ダブルカレーライスです。

友だちは、なんだったかなぁ…。

グラタン……だったかな。

私とは違うものを注文していました。

 

 

写メを撮って、食べはじめて数分後。

 

 

友だちが異変に気づきました。

 

地震?!」と叫びました。

 

この時は初期微動で、

 

私もそれに気づいて、「あぁ、来るな…」と身構えていました。

 

 

が、想像以上に大きく揺れました。

 

耐震ビルの仕様なのか、縦揺れに感じました。

ちょっと怖かったです。

 

とりあえずテーブルの下に潜ってやり過ごしましたが、

 

一度おさまって、昼食を再開したら、

また縦に大きく揺れました。

 

流石に怖すぎて、友だちは「外へ出よう!」と言って、

店員さんに伝えて一度外へ出ました。

 

本当は、外へ出るのはもっと危険だそうですが、

この時は災害に関しての知識がなく、

しかも縦揺れで崩れるかも…(そんなわけないんだけど)と

思ったので、外へ出ました。

 

しかし、実際に外へ出ると、実は横揺れであることがすぐにわかりました。

 

隣のビルが、大きく、ゆらりと、左右に揺れていたのです。

局は違うけど、まさに、vs嵐のローリングコインタワーを高く積み上げて大きく揺れる時の緊迫感のようなものが漂っていました。

この時は、本当に、その程度しか思っていませんでした。

かなり不謹慎ですが、本当にそうでした。

友だちはかなり怖かったようですが、

私は、「震度5…弱くらいかな?ビルってこんなに揺れるんだなー、怖いなー。

でも、耐震構造のビルだし、局の人たちもいるし、きっと大丈夫でしょ!」なんて

思っていました。危機感がありませんでした。

これが、都心じゃなかったら、テレビ局にいなかったら、また違ったかもしれませんが…

都心では、そんな空気感でした。

 

騒動がひとまずおさまり、私たちはレストランへ戻り、昼食を再開しましたが、

友だちは完全に怖がっていて、遊ぶどころではなくなったので、

昼食を早々に済ませました。

何をするでもなく、というか、電車が止まっている可能性大で、どこにも行けず、

しばらくその場で静かに過ごしました。

 

ケータイのニュースでは、

震源地が東北で大規模であったこと、

東京は震度5弱であること、

案の定電車が止まっていること。

がわかりました。

 

逆を言うと、それしか情報がわかりませんでしたので、

それで終わりだと思っていました。

 

後で、「津波の心配なし」や

「電車の安全確認が取れたので運転再開」などと報じられ、

そのうち元どおりになるだろうと、

帰りはそんなに心配していませんでした。

 

 

しかし。

 

夕方ごろでしょうか。

 

テレビ局のテレビには、

 

信じられない映像が流れていました。

 

目を疑いました。

 

たまたま、過去の災害映像が流れているのだと思いました。

 

だけど、ずーっと、

 

津波の映像が終わることはありませんでした。

 

 

 

ライブ中継。

 

 

生放送。

 

 

今、東北で起きている映像だと、理解しました。

 

あの地震で、津波が来たんだ。と。

 

みんな避難してるかな?

 

海沿いの人たちも、無事だといいな。

 

 

そう願いながら、電車の復旧を待っていましたが、

 

 

電車の運転見合わせも、津波も、地震も、

いつまでも続きました。

 

 

ようやく、私は、

ことの全容と、その重大さを把握できました。

 

でも、東北は、とりあえず避難ができれば、

命は助かるだろう。時間はかかるかもしれないが、プレハブを建ててしばらくはそこで暮らして、街を建て直せば、すぐに元の生活に戻れるだろう。

と、信じていました。

街のみんなで助け合って、自衛隊の方たちが助けてくれて、私たちも義援金を贈って、少しの間、耐えてくれれば、また……

 

あの時は、そう信じるしかなくて、まずは、自分が家に帰ることを考えるようにしました。

 

親にメールで、「帰りが遅くなるけど、無事だよ。」と伝えようとしたけど、電波が混雑してなかなかスムーズにはいかず。ドタキャンした友だちからもかなり深刻な心配&謝罪メールが来ましたがなかなか上手く繋がらず、余計にパニックにさせてしまいました。

 

電池がなくなったら困るのでとりあえず私は大丈夫だから心配しないでと伝えて早々に切り上げ、何とか帰る方法を探しました。

 

電車が1部だけ、運転を再開しましたが、

当然、時間通りには動きません。都心だからか、奇跡的に電車の中に入ることができましたが、乗り換えの駅で降りなければならないので、結局街を彷徨うことになりました。

タクシー乗り場は大行列。

バスも緊急で動いていたけどやはり大行列。

人々のマイカーやたぶんレンタカーも混雑して、道路も大渋滞でした。ホテルやカラオケも満室。

 

しばらく街をふらふら歩いて、疲れたし、お腹が空いてきたけれど、コンビニやスーパーも大行列、商品棚の特定の場所だけがもぬけの殻になっていました。魔法かなんかで消したみたいな。

みんな、考えることは同じなんだな…と思いました。

とりあえず、なんとか日持ちのするお菓子を獲得しました。どこかで、友だちと身を寄せ合ってお菓子を食べました。そのあたりは全然覚えてません。

寒かった…です。たしか。

でもそれどころではありませんでした。

いつもはバリバリ食べるお菓子を、この時はゆっくり、よく噛んで、大切に食べました。

美味しかった…です。

気力が湧きました。

 

けれど、もし、東北みたいになったら、

私はいつまでもつか、いつまで続くのか、

なんて考えはじめました。が、すぐにやめました。

帰れます。都心なら。

道路には看板があります。

ケータイの地図が見られなくなっても、街中にあるし、多分、お巡りさんか、誰かが教えてくれるだろうし、歩いてでも帰れるはず。

東京を縦断したことなんてありませんが、いざとなればできるだろう。それが東京なんだ…。

気が遠くなりそうだけど、不幸中の幸いとはこのことだと思いました。

 

 

 

そんな時、友だちのケータイが鳴りました。

 

お父様でした。

 

 

なんと、車で迎えに来ると言っていました。

 

そんな、無茶な……。

あの渋滞の中を泳いで来るなんて、

そんなこと、してもらえない!と思いましたが、

自身の娘もいるし、言葉を飲み込みました。

 

意外と早く合流できました。

 

車の後ろ座席に乗せてもらい、

家まで送ってくれました。

 

束の間、眠ることができました…。

 

時刻は…午前2時を過ぎていました。

 

これでも早い方だと思いました。

本当に、不幸中の幸い…というか、不幸でもなんでもない。

とても幸運だったと今は強く思います。

 

 

家に帰れたのは、午前3時過ぎでした。

 

ほっと、は、したけど、

家のテレビにも、まだ津波の映像が流れていて、

しばらく、呆然と立ち尽くしました。

 

一体、この国はどうなってしまったんだろう。

 

怖くなりました。

 

でも、流石に、疲れてしまい、

その日は倒れるように眠りました。

 

 

 

これが、東京震災、なんだと思います。

(いずれ、大規模な震災が来ると予測されているので、この時の出来事を教訓に、しっかり対策をしておきたいですね。)

 

 

 

実は、震災の数日前まで、私の学校はスキー合宿で長野県にいました。

 

もし、この合宿が数日、遅れていたら、

私はもっと被災していました。

雪山ですから、

雪崩に巻き込まれて死んでいたかもしれません。

 

 

考えるだけで、恐ろしい奇跡です。

 

学校のみんなも無事でした。

 

それは本当によかったと思います。

 

 

 

今日はここまでにします。

 

想像以上に書きすぎてしまいました。

あの日起こったことを、そのまま綴りました。

 

私の経験は、取るに足らないとは思いますが、

一応、立派な被災者、なんだと

自覚しなくては、と思っています。

 

そして、沢山の方々に助けられ、

無事に帰れて、

今も生きているんだと、

改めて実感しています。

本当に感謝しかありません。

 

そして、来る、といわれている次に備えなくてはなりません。

 

 

 

 

 

また別の記事で、震災直後〜現在までの出来事を綴りたいと思います。

 

ここまでお読みくださった方。

ご清聴、誠にありがとうございました。